アートさんぽ[まちの記憶をたどる ビール・味噌 麦のみち]を開催しました。
9月14日(水)、アートさんぽ[まちの記憶をたどる ビール・味噌 麦のみち]を開催しました。川口の南平地域(元郷、領家、新井町、朝日、末広、弥平、東領家、河原町あたり)でかつて味噌醸造業が栄えた時代があったこと、今年開館10周年のアトリアが元サッポロビール工場の跡地に建てられた施設であることに因んで、川口市に伝わる「麦」の食文化ゆかりの地をバスと徒歩でたどりました。
講師は新井俊雄さん。酒や調味料を販売している「株式会社 アライ」の代表ですが、創業時は味噌卸小売業を営んでいた縁から「かわぐち麦MISO 倶楽部」を結成し、川口の麦味噌を復活させる活動などを精力的に行っています。
新井さんと一緒にまずはアトリアの内外でビール工場の面影を探しました。館内の床はおよそ80年もの間工場の地盤を支えてきた松杭を再利用したもの。一方公園には工場で使われていた仕込み釜が、公園から伸びる小道には原料を運び入れていたSLを偲ばせる車輪型のモニュメントが佇んでいます。
見慣れているつもりの場所に潜む歴史の層に思いを馳せつつ一同バスに乗り込みました。目指すは新井宿にある「社会福祉法人ごきげんらいぶ」。新井さんに協力して川口ブランドの麦味噌を生産している施設です。
ここで新井さんから川口の味噌についてお話しいただきました。南平地域で行われていた味噌醸造業には200年余りの歴史があったと言われ、地域内で優良な原料麦が採れたこと、地下水が豊かに湧いていたこと、消費地である江戸・東京に隣接していたこと、発達した舟運による大量運搬が可能であったことなどが発展の理由だそうです。
江戸に流通した麦味噌は「田舎味噌」の呼び名で庶民に親しまれていたそうで、川口の風土が育んだ、どこか故郷を思わせる味だったのかもしれませんね。
続いて「ごきげんらいぶ」の代表者、井出信男さんから施設の活動についてのお話し。「川口御成道みそ」と名付けて、もともと米味噌を生産していたところ、新井さんからの依頼で麦バージョンも手掛けるようになったのだそう。
地域と麦味噌の結びつきについて理解したところで、生産の現場を見学させていただきました。発酵室に積み上げられた味噌樽の山に驚く参加者たち。
施設の方々にお手伝いいただきながら「みそまる」づくりを体験しました。手で丸めた味噌をカラフルな具材で彩りロリポップキャンディー風にアレンジ。お湯の中に挿し入れてかき混ぜれば即席味噌汁になるアイディア食品です。米味噌に比べて甘みが少ない代わりにコクと香りが高いのが麦味噌の特徴。それぞれお持ち帰りした「みそまる」で味わいの増す食卓が楽しみですね。
みなさんのごきげんな笑顔に見送られたあと、再びバスに乗って「旧田中家住宅」へ。味噌醸造業と材木商で財をなした田中家の元邸宅です。3階の展示資料をもとに、味噌づくりの実際や芝川の舟運などについて新井さんから解説いただきました。大正モダンの華やかな意匠で知られる建築を産業遺産として見直せば、在りし日の人々の営みやまちとの関係が見えてきます。
次の訪問地までは歩いて移動します。薄日の差すさわやかなお天気の中、「十二月田稲荷神社」「元郷氷川神社」「平柳蔵人居館跡」に立ち寄りました。いずれもこの辺りの昔の地名と歴史を伝えるスポットです。たっぷり歩いて汗ばんできたころ、立派な蔵づくりの建物が見えてきました。
川口の代表的な銘柄の1つだった「もといいち(現:株式会社 もといち)」の工場跡です。現代表の池田幸一さんから昭和初期の古地図が配られ、周辺に味噌業者がいくつもあったまちの姿を振り返りました。「もといいち」に面した通りは「味噌ロード」の呼び名で地元の人に親しまれていたそうです。
先代の醸造責任者だった池田和七さんからもお話を聞くことができました。全国の産業が発展し、今は様々な地方の味噌を気軽に買うことができますが、原料にこだわり、丹精込めて手づくりする自家製品に誇りをもっていたそうです。
敷地内に残る保管庫・原料庫などは明治や大正に建てられた貴重なもの。重厚な扉や麹菌がびっしりと繁殖した跡が残る天井などに参加者の感嘆の声があがります。味噌樽を運んだ小さな線路が建物をつなぎ、豊かに自噴していた井戸の跡と水神様も。そのいずれもが役目を終えていますが、まちの食の歴史に関わる者の1人として、この先も守り伝えていきたいと池田さんは言います。
川口の味わい深い食文化と歴史に触れた、およそ5時間の道のり。参加者からは
「川口に長く住んでいるが知らないことばかりだった」
「今まで以上に郷土としての思いが深まりそう」
などの嬉しい感想をいただきました。今回の盛りだくさんの企画に尽力いただいた多くの方々に感謝しつつ、これからも地域と連携し、まちの魅力を再発見できる催しを続けていきたいと思います。